平穏死」のすすめ 石飛幸三著 講談社文庫を読んで・・・2
この本になぜ「胃ろう」をせざるを得ないかが書いてある。
高齢者で認知症になった人は中枢の機能が低下するため、食べる際に気管の入り口にある蓋(喉頭蓋)がうまく閉らず、食べ物が気管に入ってしまいます。
これが、誤嚥性肺炎です。
病院で抗生剤や強心剤を使って肺炎は治りますが、嚥下障害自体は治りません。
口から食べさせようとすると又誤嚥します。
病院は点滴を続けていつまでも病院へ置いておくわけにいかないので、「胃ろう」をつけようということになります。
認知症の人は「そんなことはして欲しくない。私は寿命だからもう結構です」とは言えません。家族は医師から言われ断れなくて、胃ろうをつけてホームに帰ってくる人が増え続けました。
これらのことを読みながら、「食が細い。食べ方にむらがある。好き嫌いがある」と言われ続けている母のことを思った。
このことは、事実だから、「ほんと、ほんと」と思っている。
園の方には「あれだけ寝てばっかりいればねぇ~あんなに動かなきゃねぇ~」と冗談っぽく伝えてある。
園の方も事実はていねいに報告はしてくれるが、暖かく見守ってくれている。
感謝(=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ
よく考えるに、食べ方にむらがあるのは、今に始まったことではないような。
好き嫌いがあるのも、どうも昔から。
私たち子どもには、辛いものダメ。野菜をたくさん食べなきゃと言ってきたわりには、おかかに醤油たっぷりのご飯は好きだし、魚が嫌いで肉大好きというのは、かなり年になってから知った。
(最近は「年寄りも週2,3回は牛肉を」と言われてますが)
そんなこんなが、心筋梗塞や脳梗塞を起こした原因かもと思っている。
でも、もう95歳。
幸せなことに、誤嚥性肺炎で入院したことはない。
先日「ブラシの木」で書いた「と・み・な・がさん」の記憶力はなんと解釈していいのかしら?
ということは、自分からものを発しなくなった(以前はおしゃべり)とはいえ、いわゆる認知症ではない?
この本を読みながらそんなことを思っている。
しかし、嚥下の力はひどく落ちているように思う。
(今年初めから、時間があれば食事介助に行っている)
なかなか飲み込まない。
「ごっくんして~」と何回言ってきたことか。
そんな時にこの本に出合った。
今思う、無理をしないこと。
出された食事を完食させようとしないこと。
残っていても、1時間くらいでやめて、母の大好きな散歩に行こう。
カロリーを計算して一生懸命作ってくださる方たちには悪いですが、母の笑顔を基準に接していこうと思っている。
なんだか、子育ての時、小児科の先生に言われた言葉を思い出した。
「子どもが高熱を出してもおろおろして、寒い中を病院へ連れて来ないこと。子どもが機嫌よければ大丈夫。水分をしっかりあげて様子をみること」と。
一緒?ね。
私の問題、家族の問題ね。
この本で、少しづつ覚悟が出来つつあるかな?
よかった。
wisteria
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