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ひきこもり500人のドアを開けた!を読んで・・・受け皿の大事さ

この本からわかることは、ひきこもりの人にとっての受け皿がしっかりしていることだと思う。

 

水野昭夫氏は、1975年、32歳で診療所を開業する。
専門の精神科と内科の看板を掲げた。

 

精神科に限らず、地域の困った人々のところへは積極的にまめに往診した。

 

そんな中の不登校の少年との出会った。

 

こうした子どもたちは、自分では病院に来たがらないので多くは往診という形になったことが、今の水野氏の往診家族療法の原型だと言われている。

 

翌1976年、水野氏は土地を求め三階建ての鉄筋家屋を新設する。
これは、思春期病棟や自立支援アパートの原型といえる。

 

それから3年後の1979年に株式会社健康医療開を設立し、宮崎市のど真ん中にあるレックスホテルを購入いた。
その後オイルショックで倒産したホテル群を購入した。

 

これらの施設を利用して、『若者のためのフリースクール』を開設したり。
自立支援アパートを開設もした。

 

Dsc02825(この地図を見ると県庁、県警本部、裁判所や税務署がある市の中心にこれらの施設が点在している。私が宮崎に行ったのは1970年代の後半と1980年代の初めだった。今、自分の目で見、空気を感じてみたいと思うけど)

 

『病院でもない施設でもないアパート』は、当初は『支援がなければ、生活が困難な人のための住居』だったが、次第に、思春期のひきこもりの子どもたちや、身辺の自立が不安になってきた家族、『おひとりさま』が住むようになった。

 

宮崎市の中心街に点在する施設、その中で子どもたちの多様な生き方を支援している。

 

昼夜逆転の生活改善や、精神科のドクターや心理療法士のバックアップの元でいろいろなケースに取り組むことができる。

 

たとえば、木工作業所や陶芸工場があったり、『てげてげ倶楽部』では、囲碁、マージャン、カラオケやバンドを組んで楽しむこともできる。

 

個々の住人になると、木工、陶芸、園芸、老人介護、洗濯、売店、喫茶店、塵の回収、庭の手入れ、パソコン、そして印刷など様々な『助っ人』をすることができる。

 

時給は50円から始まって200円、300円と増えていく。

 

こんな感じで少しずつ練習をすることで、辛いことを払しょくしながら社会とのつながりを取り戻していっている。

 

一度、傷ついた心と体を取り戻すのはなみたいていではないが、行きつ、戻りつ、すこしづつだと思う。

 

    wisteria

 

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