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足つぼ(リフレクソロジー)との出会い・・・9

日本における若石健康法は、2001年2月、会社の倒産によって一時挫折した。(倒産後しばらくして、社長夫人を代表者にして日本分会が再設立された)

 

 

健康機の販売が主業であった会社は、全国各地の支社を地域ごとの販売会社として分社化していたが、夢を持たされて頑張った各支社の幹部が抱いた分社前の期待に反して、分社とは名ばかりで、本社の各販社への管理は、以前の支社当時となんの変わりもないものであった。

 

 

 2000年1月、トップの経営方針(学院の展開等)にも不満をもった数名の販社長と幹部が、秘密裏に結託して、ライバルのメーカーの代理店を設立し、社員を引き連れて離反する計画が発覚した。

 

 

 決行前に察知して、手は尽くしたものの大きな打撃を受けたのである。

 

優秀な販売員を大勢引き抜かれ、得意先も奪われそうになった。

 

私は造反組のリーダーが、社長であった九州の販社の社長として福岡に赴任し、組織防衛の先頭に立った。

 

 

 体勢を立て直すために、やむなく辛いリストラを進めていた最中であるにもかかわらず、国際若石リフレクソロジー学院を設立して、スクールビジネスの展開に乗り出していた会社は、苦しい業績にもかかわらず、全国各地に学院の分校を次々に立ち上げたのである。

 

資金も人も足りない中での暴走だった。

 

 

 2000年10月、九州で無理を重ね、体調も崩していた私は、会社の方針についていくことが出来ず、退職の決心をした。

 



それから5ヶ月後社長M氏は自己破産を申請した。

 

 

 

退職後は、リフレクソロジーを含め、前の会社の仕事に関係あることからは一切遠ざかりたいと思った。

 



知人から建設土木資材の会社を作りたいと誘いがあり、総務部長として会社の設立に携わり、約2年間勤務した。

 



その会社も当初の話と違い、見切りをつけ退職した。

 

 

職安に通いながら、自分に出来る事、好きな仕事は何なのかを真剣に考えた。

 

 

リフレクソロジー、整体」が結論だった。

 

2003年1月、「足つぼの湧泉」開業、

 

五十五歳からの再出発だった。

 2008/10/02   

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