裁縫箱
スウェットのゴムがゆるゆるになった。
付け替えなきゃと思いつつも面倒で数ヶ月過ぎていた。
でも昨日ついにプチンと切れた。
さてゴムは?針は?糸は?
「どこにしまっただろう?」と考える。
すぐ思いつかないからやっかいだ。
そして思い出す過程が面倒なのだ。
(「買ったほうが簡単」と不謹慎なことばが頭をよぎる)
つねに使っていないからなおさら。
記憶をずっとたどらねば。
40代半ばぐらいまでは「箪笥の何番目の右側」とか「押入れの左側の奥」
などとうっとうしいくらい記憶にとどまっていたのに。
ところがいつ頃からか「お母さん、ぼくの水泳着どこ?」や
「僕の○○どこ~?」と聞かれても即答出来ない私がいた。
でもあの辺かもと思いつつ、和ダンスのあたりをごそごそ探したらあった、あった。
そうだそうだ思い出した。
嫁入りの時買ってもらった籐の手提げ風の裁縫箱は5年前の引越しの時に
コンパクトのものに入れ替えたんだっけ?
最低限の針と糸とそれこそズボン用のゴムぐらいを残し。
ゴム通し用の安全ピンでゴムを通すとものの5,6秒で通った。
「なんじゃい、ものごとは道具!!」をまたまた実感。
そして仕舞おうとし、裁縫箱の裏蓋に長男の名前が。
よく見ると長男の名前を消して次男の名前が。
ふふふとおかしくなった。
きれいなままのセルロイドの裁縫箱。
きっと息子たちは大して活用しなかったのね。
もったいないと思って次男はお下がりだったのね。
そしてそれももったいないと思って私のものにしたんだ。
そういえば家庭科なんてあったよね。
料理をしていた記憶はあるが裁縫は???
今家庭を持ち、あの頃の家庭科が役に立っているのかしら?
家庭的な二人のお嫁さんを見ていると
息子たちは今のところ必要なさそう。
などといろいろなことが頭をよぎる。
我がだんなさまは?
今は自分で針と糸を不器用に使いながら(見て見ぬ振りをしています)
施術着の膝あてとやボタン付けなどをしている。
結婚当初は縦のものは横にしない。横のものも縦にしない。
脱いだら脱ぎっぱなし。
やってもらうのはあたり前の典型的亭主関白だったが
(薩摩男だから仕方ない?あの優しい顔、声から誰も信じてくれない)
老後はお互い「自分のことは自分で」を実行している。
見て見ぬ振りも結構辛いものです。
でもお互いのため。
裁縫箱の話がミシン糸のように妙な所に
ころころ転がっていったようです。
wisteria
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