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2012年6月 6日 (水)

足つぼ(リフレクソロジー)との出会い・・・4

国際若石健康研究会との出会い

 

1986,7年頃会社の幹部10名ほどで台湾へ旅行した。

 

先に帰台していた官有謀氏の案内で社長他2,3名が、国際若石健康研究会を表敬訪問したのが、最初の接点だったと思う。

 

私は別行動をしていたので訪問していない。

 

国際若石健康研究会は、1982年に陳茂雄創会人,陳茂松執行会長の兄弟によって設立された。

 

現在は陳茂松執行会長が運営しているが、設立してしばらくは、末弟の陳明仁氏も加わり、兄弟3人が中心になって運営していた。

 

設立のきっかけは、呉若石神父がイスラエルに赴任するので、若石健康法の研究と普及を陳兄弟に託したと聞いている。

 

現在は呉若石神父を最高顧問とする団体や会社は、数多くありその数は今私にはわからない。

 

神父は聖職者なので、若石式のリフレクロジーを普及するところには、寛大な姿勢をとっているのだろう。

 

陳兄弟の末弟である陳明仁氏も兄と袂を分かち、中華足部反射区健康法協会(足健法)を1991年に設立し、呉若石神父を最高顧問に迎えている。

 

国際若石健康研究会は1988年に第1回の世界大会を、台北の円山大飯店で開いた。

 

日本からも会社の10数名が官有謀氏とともに参加し、88

第2回の世界大会を東京で1990年に開催することを委託された。

 

この時点では日本での活動は官有謀氏を中心とする足心道(官足法)の普及であり、若石健康法は 遠くの親戚の様な存在だった。

 

1989年の事だとおもうが、大事件が起きた。

 

「足の汚れが万病の原因だった」が大ベストセラーになり、テレビ出演、健康雑誌などで、一躍有名人と、なった官有謀氏にある集団が接触したのである。

 

日本ではパイオニア的な存在だった、アルカリイオン浄水機を開発した会社の乗っ取りに成功した集団が、「足もみのあとで必ず白湯を500cc飲まなければいけない」と唱えていた官有謀氏とローラーの販売が軌道に乗った

 

私のいた会社に目を付けたのである。

 

官有謀氏に取り入った彼らは、都内の一流ホテルの豪華なスイートルームを事務所にしていた。

 

官有謀氏の執拗な頼みなので、社長と私、役員の一人の3人でそのホテルの部屋を尋ねた。

 

案内されて3人掛けのソファーに座ったのだが、そのソファーを取り囲むようにして、黒っぽいダブルの背広を着た厳つい男たち4,5人が椅子にすわったのだ。

 

我々の前にはテーブルもなく、異様な雰囲気だった。

 

しばらく待たされて、奥のドアから出てきた会長とよばれた人物は、我々から7,8メートルも離れたデスクにすわって遠くから我々を見ているだけだった。

 

3人を取り囲んでいる黒服の中の一人が、ほとんど一人で話をしていたように記憶する。

 

話の内容は、「水の機械を販売してくれ。官氏とは話がついている。ローラーとの抱き合わせの販売が良い。ローラーが月に1万台売れているとのこと、水の機械も同じ台数売れるはずだ。今すぐ返事してくれ」と言うことだった。

 

我々は「ローラーの販売はデパート、スーパーでの販売がほとんどで、足の健康法の講演会や相談室で売れているのではない。親会社があるので、勝手な仕入れは出来ない。即答はできない。」と返答した。

 

会長という人物が、「前もって聞いていたことと話が違う。再度連絡する」と言い、我々は退席した。

 

急いでホテルを出ると、ほっとしたのと、驚いたのと、何者なのかと言う不安、官氏のことの心配などが混ざり合い、顔を見合わせてため息をついた。

 

会社に戻り すぐに調査の手配に取り掛かった。

 

調査の結果は2.3日で明らかになった。

 

会長と言う人物の過去の前科が分ったのである。

 

詐欺事件、刑事事件、暴力組織との関係など・・・

 

官氏への説得は容易であるかと思われた。

 

しかし ことは簡単には進まなかった。

 

「過去の事は関係ない。又悪い事をするとは限らない。自分が良いと思ったから進めたのだ。お前たちの会社でやらないのなら 俺は、お前たちと手を切る」

 

八方手を尽くしたが、官氏は首を縦に振らない。

 

我々は官有謀氏との別れを決断しなければならなかった。

 

官氏について会社を離れた社員もいた。

 

対策会議のメンバーでもあった幹部も官氏に付いたのである。

 

N氏は後に一派を立ち上げる、M氏は官足法の重鎮である。

 

後になって思うのだが、我々は大変な事だと考え、官氏にせまるように

 

説得を試みたのだろう。

 

息子のような年の連中に自分のミスを大騒ぎされて、プライドの高い官氏の癇に障ったのではないかと思う。

 

その後官氏が前述の水の機械を積極的に扱ったとは聞いていない。

 

私の尊敬する指圧の大家増永静人師の著述の中に「虚はあまり早く圧しても、はっきりつかめません。その上に三指をおいて持続圧を加えながら反応をみます。



虚は内部に固いシコリがあって、これを不用意におされると、
いわゆる虚を衝かれた痛みが全身にひろがるので、これを警戒して筋性防衛があります。」とある。

 

我々はまさに虚を衝いてしまったのではないだろうか?

 

会社は提携の相手を国際若石健康研究会に乗り換えた。

 

翌年の東京での世界大会の準備も進んでいたので、国際若石健康研究会も喜んで提携した。

 

その当時、若石健康法は日本では全く知られていなかったが、相談室を若石センター(21若石センター)に切り替え、陳茂松執行会長の日本各地での講演会、社員の台湾本部への教育訓練を年数回(一回12,3名ずつ2週間)など、莫大な費用をかけて取り組んだ。

 

そして1990年の世界大会の時が来た。

2008/06/24

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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カラスの襲撃

いつものように店に行くために自転車を走らせていたら、
大きな木がうっそうと繁っている所を通っていると
頭の上でばたばたばたと異様な羽音が。


そして黒いものが覆いかぶさるような気配が。


なになに???と危険を感じながら必死で自転車を走らせる。


止まるという発想はその時なかった。
あさ一番のお客さんがいたから急いでいたってこともあるが。
からす?と思いながら自転車を走らせていた


ただ怖かった。
初めての経験。


子どもたちが小学生の頃は、「登校中に襲われた話」は注意事項でよく聞いていた。
幸い、実害にあったことはなかった。

子育ての頃は危ない、とか巣の近くに行ってはいけないとかは知っていたが。
でも皆目見当がつかない。

お店に着き、早速WEBで調べてみた。


やっぱり子育て時期と巣はキーワードのようだ。


調べた中で私の不安に一番答えてくれたものはからすは襲うか?の疑問の答えだ。


どんなふうに襲うのでしょうか?


「『カラスに襲われた。つつかれた。』と言う声を聞きますが、
カラスが威嚇行動として襲ってくる場合、嘴(くちばし)でつつくことはありません。
どのような行動をとるかというと、彼らが危険地帯として認識している場所にはいると、
後から飛んできて後頭部を足で蹴り、蹴った直後上昇していきます。
嘴でつつくことは体の構造上できないのです。
カラスの足には、ワシやタカといった猛禽類のように鋭い鉤爪はありません。
仮に蹴られたとしても、擦過傷程度の怪我にしかなりませんので、そんなに心配することはありません。
『襲われて怪我をした』と言う場合はパニックになり転倒したり、
周りのものにぶつかったりして怪我をしたものと考えられます。」と。


これは静岡市 環境局 環境創造部のホームページから引用させてもらった。


威嚇はするけど襲いはしないとわかったら安心した。


じゃないと今日一日、気持ち厄日になりそうだった。
 
  wisteria

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