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2012年6月 1日 (金)

足つぼ(リフレクソロジー)との出会い・・・最終回

湧泉を開業してから5年半、施術者に徹して、多くのことを学ばせてもらった。

 

お客様にが1番、2番目に明生館の武田先生と、三水会の仲間たち、順位は付けられないが私のよきパートナー。

 

 

施術者に徹してみて、以前のこと特に若石健康法の歴史を改めて振り返ってみると、見えなかったものが見えてくる。

 

 

足つぼ(リフレクソロジー)との出会い・・・6の最後で述べた

 



「『自分で毎日行う事が大切』というスローガン」について振り返ってみたい。

 

 

 


1.
官有謀氏との足心道としてのスタート以来、会社の本音は健康器(ローラー)の売り上げを伸ばすことであった。

 

若石健康法をセルフケアーの健康法として位置づけることは、自分で揉み続けることに困難がともなうことを分っていて、あるいは分ろうとしないで、ローラーの販売に結びつけるための確信犯的な方針であった。

 

 

 

若石センター(会社直営の足揉みサロン)を展開している頃に、対価をもらっての施術が違法でないと分ってからも、施術の有料化には消極的であった。

 



有料化に本気で取り組まなかったことは、サロンの事業に本気で取り組まなかったということである。

 

 

 

リフレクソロジストはクライアントに、対価に見合う施術、対価以上の施術と認めてもらうために、努力研鑽するのである。

 

 

 

台湾の若石本部も、自ら開発した愛心棒や踏み板などを、販売したいということがセルフケアーにこだわりを持ち続けることとなった。

 

 

 

愛好者の団体を作り、商品を売り続けたいという構想に縛られたM氏は、時代が変わってしまったのにもかかわらず、事業展開の優先順位を間違えてしまったのだ。

 

 

 


2.
リフレクソロジストの喜びは

 

クライアントに満足してもらうこと、自分の技術がお役に立てたということであり、商品を売る事ではない。

 



優秀なリフレクソロジストであればあるほど、施術の技術を磨き、効果を上げ、クライアントに満足してもらうことを志向する。

 

 

 

自分で毎日行うことが健康法として効果を出すことは否定しないが、根気良く効果が出るまでもみ続ける人はまれである。

 

 

 

私自身が5年半、施術者に徹してみて、痛感する事だが、優秀なりフレクソロジストが行う施術の効果は、セルフケアーとは全く違うものであり、全く次元の異なるものである。

 



痛くなく、しかし、深く浸透し、心地良い響きを与え、副交感神経を優位にし、拘束を取り去るものである。

 

 

 

当初からのセルフケアーの方針は、それにこだわるほどリフレクソロジストの技術向上が阻害されたのだと思う。

 

 

 3.RAJA(英国式リフレクソロジー)の設立は1996年7月であり、サロンであるクイーンズウェイの展開は1997年から始まった。

 



刺激されて会社は国際若石リフレクソロジー学院を設立したが人の受け皿となるサロンの取り組みを怠った。

 

 

 

サロンと言っても、私が思い描いたサロンは、会社として人を雇用しての運営なので、1人、2人で運営してきた過去の若石サロンとは全く発想を変えて、少なくとも、最低5,6人の女性の施術者のいる、好立地の路面店か、デパート内のテナントでのサロンである。

 

 

 

企画力は必要であったが、成功例はすでにRAJAが創りあげていた。

 



RAJAは同時進行でサロンの準備を行っていたと思われる。

 


後発でも、採算の取れるサロンの展開にもっと力を入れていれば、卒業生の受け皿となり、学院生の募集もうまくいっていたと思われる。

 

りフレクソロジストを志す人のニーズをつかめていなかったのだ。

 

 応募する人は、

 

「お客様に満足いく施術ができるりフレクソロジストになり、継続してリフレクソロジーを仕事としてできる」ことが目的であり、学院で学ぶことはあくまでも手段である。

 



授業という商品を売ることだけが先行してしまったのである。

 


当時、会社は、全国にデパートの口座を持っていた。

 



サロンに真剣に取り組めば大きく展開出来たはずである。

 

 

リフレクソロジストの心を持って事業に取り組み、急展開をせず成功パターンをあせらず育てあげていくことが必要だった。                                 2008/10/03    

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風評被害

岩手県の瓦礫の中にコンクリートが入っていたということで
話題になっている。


受け入れる側、受け入れない側、立場がそれぞれあって大変だと思う。


風評の言葉を聞くたびに日本の歴史にとってもうとい私が思い浮かべるのは
秀吉や家康の頃のこと。


秀吉や家康はこちらの都合のいいように風聞をながしていたって。
これってテレビの見すぎ?


つい先日、実家を預かってくれている不動産屋から電話が。


「昨日、窓を開けに行った時、お隣にいつものようにご挨拶したのですが、
『以前お宅にあった桃の木にシロアリがついていたって聞きましたが・・・』と言われましたが
桃の木ってどこにありますか?お父さまがまだお元気だった頃だと言ってましたが」とのことだった。


母のところに飛んでいって聞いても話はややこしくなると思い、


実家においてある姉との申し送りのファイルから

造園業者の電話番号を探してもらった。

「これから、貸したり売ったりするときに興味本位でマイナスのことを言われたら困りますので、事実をしっかり確認したいと思いまして」とも。

確かに!

おっしゃるとおりです!


とすぐに造園業者に連絡がとれ、事実がわかった。


そこから尾ひれが


斜め前の家の人が我が家のことをとても心配しているって。


「トラックが来て、きれいな家具、立派な額、壺そして貴重そうな本類をぼんぼん捨てていたって。
あまり、もったいなそうだったので、その中から少し本はいただきました」と。


斜め前の家は何べんあいさつに行っても留守だったのでずっと気になっていたのだった。


別に好きで荷物をぼんぼん棄てたわけではない。
ちゃんと目利きの人に見てもらった上で仕方ないと姉と判断して処分したのだ。


ブックオフに持っていけばとかヤフーオークションに出せばとかも考えた。


引越しをした方ならわかってもらえるかと思うが
そういうことをやっている時間とエネルギーがないのがこういう時なのだ。


何気ない言葉が飛んでいく。
だから風評って言うんでしょうね。


最近こういうことと関係なく暮らしているのでちょっと頭とエネルギーを使った。
そして、念のため「無料シロアリチェック」をダスキンでやってくれるというので
早速やってもらうよう不動産屋に頼んだ。
   wisteria

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