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2008年10月

よけいなことかも知れないけれど・・・

今日昼頃、

親しい友から、私たちのある会のお仲間の方の

訃報が届きました。


えっ?なぜ?彼女が?と

クエスチョンマークが頭の中を駆け巡りました。


8年ほど前からご主人の病気の看病をしている。

ということは知ってました。

会には時々出てらして。

それが、たまーになり、最近は・・・

でも、元気だと思っていたのに。


友人と最初はメールのやりとりでしたが、

面倒になり直接電話で。


彼女も最近癌の手術をうけたらしい。

胆嚢がんと言われていたが、すい臓や肝臓にも転移していたらしい。


そんなことを聞きながら

私の頭の中で、

ゆっくりする施術でも受けていたら

自分も倒れずに済んだのに・・・

という想いがよけいなおせっかいとわかっていても

湧き上がってきました。


症状というのは複雑な要因が重なって出るものですから

なんともいえないのですが、でも・・・


ご主人の看病だけでも大変だったと思います。

心配したり、毎日の病院通い、その上の日常の仕事。

非日常のことって、身体に異変をおこします。

ほとんどの人が自分はそんなに・・・とおっしゃいます。

でも、施術をするとあちこちに滞りがあるのです。

彼女もきっとそうだったのではないかしら?と思ってしまうのです。


私くらいの年齢から上の人は、

何か大変な時(家族の病気等)に自分をリラックスさせることが

いいことだなんてつゆにも思ってません。

たぶん私もこの仕事についていなかったら

彼女と同じだったろうと思います。


福田ー安保理論からの免疫学を知らなかったら、

「整体を受けるなんてふとどきな!!」

「自分をリラックスさせるなんてとんでもない!!」と

思っていたと思います。


お父さんに続いてお母さん。

残された三人のお嬢さんたちのことを(わが子と同じ年代)

思うとなんともやりきれない気持ちで一杯です。

              wisteria

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リフレクソロジーの歴史・・・①

リフレクソロジーの歴史、特に近、現代の歴史は、

1917年に発表されたアメリカの耳鼻咽喉科、外科の医師

ウイリアム・フィッツジェラルド(William Henry Hope Fitzgerald)博士が

エドウィン・F・バアーズ(Edwin F・Bowers)博士との共著の

「ゾーンセラピー」(区帯療法)という本から始まる。

                                                

フィッツジェラルド博士は痛みをコントロールし、麻酔効果を得られる、

何か別の方法はないかと模索していた。

当時外科医が用いる唯一の麻酔方法は、クロルホルムだけだった。

鼻と口を覆うマスクを用いていたという。

液状のクロロホルムが、患者が意識を失うまで注がれるこの方法は、

非常な危険を伴うもので、患者の多くが、クロロホルムの量が多すぎたり、

呼吸器に影響して肺炎を起こしたりして命を失っていた。

                                                

博士は身体のある部分に与える圧力が、他の部分の機能に影響を

及ぼすことに気がつき、手の指先を金属のクリップではさみ、

指の関節をゴムバンドで縛ることで、顔面と首に麻酔効果を得る

ことに成功した。

                                             

博士は、身体の各部分は相互に影響しあっており、

足の一点に圧力を加えると、そのゾーンに含まれる足から脳までの機能、

器官全てに影響を及ぼすと確信した。

「相対応反射」(右手の肘は、右足の膝と関係しているetc.)は、

このゾーン理論に基づいている。

                                              

博士は著書「ゾーン・セラピー」の中で以下のように述べている。

「手足の末梢神経について明確に解明されれば、

ヒーリングの分野の偉大な突破口となるだろう」

                                                  

1917年以来、多くの専門家たちが、フィッツジェラルド博士の

発見について研究するようになった。

1919年にはジョセフ・セルビー・ライリー(Jseph selbeyRiley)博士が

「簡単なゾーン療法」という本を書いている。

このライリー博士の助手に理学療養師の

ユナイス・イングハム女史がいた。

                              

このユナイス・イングハム(Eunice Ingham)女史(1879-1974)こそが、

リフレクソロジーの創始者である。

                              

身体の解剖学的構造と足に存在しているエネルギー・ゾーンが

相互に関係している事を明らかにし、足には全身を投影する

「全身の反射ゾーン」があることを発見した。

(アメリカに来た漢方医にヒントをもらっている。次回書きます。)

チャート(反射区図)を作り、圧力を変化させながら押す、

効果のある手技も確立したのである。

イングハムの反射区図

「ingham_foot_chart.jpg」をダウンロード

                                 

1938年に「足は語る」(Stories the Feet Have Told Thru Reflexology)

という本を書き、これが足の反射区療法の原典となっている。

Reflexologyという言葉の出発点である。

                       

彼女はセミナーをアメリカ、ヨーロッパ各地で開き普及に努めた。

1974年に亡くなり、姪のオイセピア・Bメッセンジャーと

甥のドワイト・Cバイヤーズらが受け継ぎフロリダで

国際反射学研究所を開いている。

ヨーロッパの彼女の弟子には、ドイツのハンネ・マルカート、

イギリスのドーリン・ベイリー、スイスのヘディ・マザフレがいる。

ReflexologiaというサイトではDiscipulos de Eunice Ingham

「ユナイス・イングハムの使徒(弟子)たち」として上記三人が紹介されている。

http://www.ecovisiones.cl/ecosalud/terapias/reflexologia.htm

全てはイングハムから始まり、続いているのである。  

                                         

1984年から、官有謀氏の足心道に続いて若石健康法の一員として

リフレクソロジストの仲間入りをした私だったが、

若石健康法にどっぷりと浸かっていた頃には、

教わったリフレクソロジーの歴史やルーツについて、

ほとんど疑問に思うことはなかった。

当事者は自分たちの都合の悪い事には意識、無意識にかかわらず

目をつぶりやすいものである。

                              

官氏は強気の彼の性格もあり、当初から彼の足心道(官足法)は

「三十年の研究と、施術による研鑽を重ねてきた、

東洋医学の原理にもとづいた中国足心道の秘術」であり、

彼が始めたものであると言い切っていた。

後に、国際若石健康研究会との間に、

「日本での普及活動を始めるに当たり、官氏に一任する」

との覚書があることが分った。

                                       

官氏の反射区図表や、手と足の相対応図は、

ヘディ.マザフレ女史の反射区図表、相対応図のまるでコピーである。

面白い事に、反射区の番号までが全て同じである。

                                           

国際若石健康研究会の反射区図表、相対応図、

反射区の番号も同様である。

                                           

ヘディ・マザフレの反射区図表

「hedi_masafret1.JPG」をダウンロード

「hedi_masafret2.JPG」をダウンロード

「hedi_masafret3.JPG」をダウンロード

「hedi_masafret4.JPG」をダウンロード

<

官有謀氏の反射区図表

http://www.kansokuhou.com/4_img.html                                              

国際若石健康研究会の反射区図、相対応図

http://www.geocities.jp/elfrente1991/jyakuseki2                                           

若石健康法では、若石神父はヘディ.マザフレ女史の、

独語版「GESUND IN DIE ZUKUNFT」

英語版「GOOD HEALTH FOR THE FUTURE」

という本と1978年に出会い、

独学で勉強して自分のリュウマチを克服したと言っている。

                                              

神父は1980年頃に「病理按摩」という本を出しているが、

前述のヘディ・マザフレの「GOOD HEALTH FOR THE FUTURE」

の翻訳本である。これが台湾での一大ブームの始まりである。

                                          

現在は神父を担ぐ団体は数多くあるがその中の一つ

呉神父新足部健康法研究会(若石館)のホームページ

http://www.hm3.aitai.ne.jp/~jakuseki/j-data/profiles.htm

では、神父は後に一時スイスに戻りヘディ.マザフレ女史の

リフレクソロジー・スクールで直接勉強したことが書いてあり、

始めた当初の痛すぎる施術を反省し、

ソフトな方法に転換したとのことである。

                                       

神父は2003年に自叙伝「知足常楽」を出版したそうだが、

私はまだ読んでいない。

おそらく日本語にはまだ翻訳されてないと思う。

歴史の真実が分るかもしれない。読んでみたいものだ。

                                       

リフレクソロジー関連の書籍やホームページでは、

神父のことを書いてあるものは数多くあるが、

ヘディ.マザフレ(Hedi Masafret)については、記述の少ないのには困った。

イングハム女史の直系なのに、

「スイス人の看護師で、宣教区の看護師として中国に赴任した事があり、

そこで中国伝来の足部按摩を研究した。」などの説が多いのには呆れる。

自分たちの都合のいいように歴史を曲げられてはたまらない。

国際若石健康研究会の「源流譜系図」は以下のようになっている。

http://www.rwo-shr-health.com.tw/method.php?id=4

ヘディ・マザフレは東洋医学の系統になっている。

                                                   

いずれにしても私のリフレクソロジーはイングハムからマザフレへと

続く流れにあることを、素直に認識して進むだけである。

                             

参考資料・・・・・・吉元昭治・リフレクソロジーの歴史

       ・・・・・・Ann gillanders フレグランスジャーナル講演資料

      ・・・・・・他

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足つぼって足裏だけじゃないんですね?

湧泉がお店を始めた最初の頃に

お客さんに言われた言葉です。


言われてみて、『あ~?そーか?』と思いました。

世間では足裏マッサージと言いますし、

看板や写真などでは足裏を押しているものがほとんどですものね。

膝上10センチまで揉むとは思いませんよね。


同じ頃、ある別のお客さんでしたが、

いらしたその時は、あまりの固さにほぐしきれず

近いうちにもう一回来てくれるようお願いしました。


2,3日うちに来て下さって、施術をしました。

その時はうそのように柔らかかったのです。

そうしたら、その日は休みだというのです。

前回は仕事帰りだったそうです。


いろいろな要素があるでしょうが

その時私が単純に考えたのは、

『心と身体ってつながっているんだ!!』と。


あたりまえといえばあたりまえ、

知らなかったのか?聞かれればお恥ずかしい・・・

心と言う見えないものがつながっているのだから

身体の中はもちろん!!と私の中でしっかりと認識したのでした。


そして、自分の身体でここ2,3日酷く認識しているのです。

右の坐骨神経痛。


40数年前お風呂場でおもいっきり尻餅をつき

目から火花が散り、でも恥ずかしくてうやむやに・・が、

その後ときどきいたずらをするのです。


クッキーにSOS。

遠慮して部分だけ。

でもダメ。膝が上がりにくい。。

自転車の乗り降りが怖い。


別の日に、ちょっとていねいに。

施術を受けながら、

足の足首・・・三関節(股関節・膝関節・足関節)の足の部分、

反射区でいえば腰の所が、

「ここだよ!ここを押して!」と訴え始めました。


駅前施術は、『首だけ、肩だけ、腰だけ』を売りにしているようですが、

やっぱだめでしょうね。


身体はつながっているので、

筋肉のことを知りつつ、経絡などのことも理解しつつ

ゆっくりほぐしていかなきゃ楽になりませんね?

              wisteria

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超・老老介護

先週、3,4日実家に帰りました。

87歳の母が94歳の父を看ています。


父は90歳まで、年相応の衰え方でしたが、

自立しながら自分のことは出来ていた人でした。

それが、2,3年前,

ある医者の「前立腺がんかも?ちょっと検査してみましょう」

の言葉にガックリきたのかそれ以来みるみるうちに衰えて・・・

今にいたっています。


10年ほど前、私か姉とどっちかと住もうと家を探したのですが、

母がどうしても動きたくないということで話は棚上げ。


母の動きたくないは全てに通じていて、

はたから見ると超老老介護でも、

大変だと思われても

自宅がいいのだそうです。


母は心臓の持病を持っているので、

私たちからすると爆弾を抱えているようなのですが。


それからは、

①往診してくれる医師の確保・・・何かあったときにすぐ飛んできてくれる 主治医

②介護保険の利用・・・たくさんの人の出入りがあるように。

を考えました。

母は昔の人なので介護保険の利用を説得するのに

1年以上かかりましたが・・・


姉と交代で帰ったり、

帰ったときは主治医の先生に会ったり、ケアマネージャーさんに会ったりと、

なるべくコミュニケーションをとるようにしています。

(自立していて、ずっと二人で静かに暮らしていたことがマイナスになっているのでは?

という思いもなきにしもあらずでしたので)


今までは年の割には元気!と自慢していた

母の室内歩行が困難になってきたようです。

こう聞くと普通は施設?と思うと思うのですが、

私たちに言われる前に防御策を提案してくるのです。


そして、帰ってみてこの状況を悲惨と見るか?

どうみるか?


寝たきり(この言葉、あまり使いたくないですが。)とはいえ

父は私が「wisteriaだよ」というと

「おう!」と言ってにっこり笑ってくれます。


私の出来る事は足を揉むことだと思い、

昔の話をしながら足をもみます。

前回、何日ヶ目に「wisteriaを○○に連れていかなくちゃ」と

起き出そうとして母を困らせているのを見たとき

なんとも切なくて、いたたまれませんでした。


普段は、寝ているか、じっと天井を見ているだけなので

そのことの切なさを親しい友に話したら、

「昔学んだことを絵巻物のように反芻しているのではないの?」

と言われてとっても救われました。


退屈だろうに、背中痛くないのかしら?などなど思うのですが・・・

大声出すでもなく、文句言うでもなく、徘徊するでもなく。


自分にとってもそう遠くない将来やってくるであろうこういう時に

どう対処するのがいいのか学ばせてもらっています。


父は昔から好奇心旺盛で、新しいものが大好きで、

いい意味で好きなことをやってきた人だと思います。

だから、私もいい意味で我慢せず、残りの自分の人生を謳歌し、

人様のお役に立てるよう暮らせたらいいなと切に思います。


「高い施術代だね」と言いながら、

母の足と背中の施術もしました。

近ければちょくちょく出来るのにと思うのは欲でしょうか?


昨日書いた「治る?」の言葉が胸にドスンと

響いたのも、自分のこともありますが、

常に「治る」方向に向かない人生を

考えざるをえないことへの何かなのでしょう・・・

                wisteria

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「治る?」

歯医者の待合室での年長さん位の男の子の言葉。

虫歯でも出来たのでしょう?

お母さんに連れられてきて思わず出た言葉だと思います。

これって 真実!


先月の末に前歯の脇の差し歯が割れました。

今まで何もなかったところに異変が起こると

「え、えっ?」と同時に「どうしよう???」です。


旅行疲れ?老化?

年をとると歯茎がやせてくると聞いています。

現実がどっと身近に。


それからの医者通い。

根本から治しましょうとレントゲンを撮ったり、

優しくきちんと説明をしてもらって、

納得して、ほっ!


「歯茎が痩せてきてますから治療は難しいですね~」

と言われたらどうしよう?

歯は若い頃から弱くって

コンプレックスで、

だからちょっとどきどきしていたのです。


人は身体が弱ると気も弱くなります。

そして「治る」ことに希望を託します。


施術でもまったく同じだと思います。

辛い→楽になった

ここから、何気ない日常がもどってきます。


きれいな歯が入りました。違和感なく。その上保険で。

噛む場所を気にせず噛める喜び!


「治った」わけじゃないけどうれしい!

だから、彼の何気なく言った言葉が耳に入ったのでしょう。

          wisteria

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子どもたちの遊び場

自宅のベランダから公園が見えます。 Imgp0778

毎日お店から持ち帰った洗濯物を干しながら

いつも眺めているところです。 eye


Imgp0777

今年の春ごろだったでしょうか?

(正確な頃は忘れてしまいましたが、)

工事が始まったのです。


それまでは、昔風の公園でした。

遊具はなかったですが、木がうっそうと繁っていて、

少しの原っぱがあり、ベンチもあり、

時々お母さんと遊んでいる子どもたちを見かけました。


今の所に越す条件の中にこの公園もあったのです。

自宅の前に家は建たない・・・と。


ところが、木がどんどん切られていくにつれ

何が出来るのだろうと不安が起こってきました。

工事現場の概要まで見に行きましたが、よくわかりません。


洗濯物は毎日干すものですから、

そして、手は忙しくっても頭の中は暇です。

否が応でも目にし、何が出来るのだろう?

と想像することしきりです。


このご時勢、狭い敷地に細いマンションが

出来ても仕方がありません。


うちのベランダからは人の出入りが見えるのかしら?

とか、向こうからは、うちが丸見えかしら?とか。


この暑い日々もせっせと工事をやってました。sun

そうこうするうちに不安が安心に。


滑り台が出来たり、芝生が植えられたり、

そして、うっそうと繁っていて、取り払われていた木々が

戻ってきたのです。


まだ未完成のようですが、

いずれ子どもたちの声が聞こえてくるでしょう。

『ホッ』!です。


ホッとしたのもつかの間、

ここは、幼稚園に上がるまでくらいの子どもようだよな~

という考えが。


それ以上の子どもたちは?と。


野球、サッカー、などが出来る場所が

今、あまりにもなくなっているような気がします。


近所で見かける空き地は

ほとんどボール遊び禁止のお知らせが書いてあります。baseballsoccertennis

「今の子は、外で遊ばない」って大人は言いますが

遊び場にたくさんの禁止事項を作っておいてban

それはないよなーと思うのですが。

              wisteria

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ホットペッパーの反応

3ヶ月振りにホットペッパーに掲載しました。


10月も18日も過ぎているのに反応は『ゼロ』


すごいですね。

この変化。


2003年の1月号から載せた記憶があります。


最初はぼちぼち、その後どっと増え。

そのことから考えるとどう思えばいいのでしょうか?

ネットの時代?WEBの時代到来?(もうとっくにだよ!?)


前にも書いたかも知れませんが、

我々の拙いホームページを見たと言って

来てくださる方が少しずつ増えてきました。

「足つぼ」で検索すると結構上位にいっているようです。


そういえば、最近吉祥寺を用事で歩いていても、

ホットペッパーを抱えている若い女性を見かけません。

5年前は結構たくさん見かけたのでしたが・・・


じゃあWEBの時代よね、と思ったからと言って、

アフィリエイトとか検索サイトとかショーカットなどなど。

わからないことだらけ。


携帯電話なんかもっと進んでいるらしく、

新聞のチラシが携帯で見れるそうです。

聞いてびっくり、見てびっくり!(見てませんが)

主婦としては、仕事の帰りに

そこのエリアのスーパーの比較をして安いところに

行けばいいってことでしょうか?


このブログを始めた時と同じ戸惑いを感じています。

                         wisteria

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湧泉の足つぼ(リフレクソロジー)⑩

湧泉を開業してから5年半、施術者に徹して

多くのことを学ばせてもらった。

お客様にが1番、2番目に明生館の武田先生と

三水会の仲間たち、

順位は付けられないが私のよきパートナー。

                             

施術者に徹してみて、以前のこと

特に若石健康法の歴史を改めて振り返ってみると、

見えなかったものが見えてくる。

                              

湧泉のリフレクソロジー⑥の最後で述べた

「『自分で毎日行う事が大切』というスローガン」について

振り返ってみたい。

                              

官有謀氏との足心道としてのスタート以来、

会社の本音は健康器(ローラー)の売り上げを伸ばすことであった。

若石健康法をセルフケアーの健康法として位置づけることは、

自分で揉み続けることに困難がともなうことを

分っていて、あるいは分ろうとしないで、

ローラーの販売に結びつけるための確信犯的な方針であった。

                                 

若石センター(会社直営の足揉みサロン)を展開している頃に、

対価をもらっての施術が違法でないと分ってからも、

施術の有料化には消極的であった。

有料化に本気で取り組まなかったことは、

サロンの事業に本気で取り組まなかったということである。

                                  

リフレクソロジストはクライアントに、対価に見合う施術、

対価以上の施術と認めてもらうために、努力研鑽するのである。

                                  

台湾の若石本部も、自ら開発した愛心棒や踏み板などを

販売したいということがセルフケアーにこだわりを

持ち続けることとなった。

                                

愛好者の団体を作り、商品を売り続けたいという構想に縛られた

トップは、時代が変わってしまったのにもかかわらず、

事業展開の優先順位を間違えてしまったのだ。

                                  

リフレクソロジストの喜びは

クライアントに満足してもらうこと、

自分の技術がお役に立てたということであり、

商品を売る事ではない。

優秀なリフレクソロジストであればあるほど、

施術の技術を磨き、効果を上げ、クライアントに満足してもらうことを志向する。

                                 

自分で毎日行うことが健康法として効果を出すことは否定しないが、

根気良く効果が出るまでもみ続ける人はまれである。

                                

また、私自身が5年半、施術者に徹してみて、痛感する事だが、

優秀なりフレクソロジストが行う施術の効果は、

セルフケアーとは全く違うものであり、

全く次元の異なるものである。

痛くなく、しかし、深く浸透し、心地良い響きを与え、

副交感神経を優位にし、拘束を取り去るものである。

                              

当初からのセルフケアーの方針は、それにこだわるほど

リフレクソロジストの技術向上が阻害されたのだと思う。

                                  

RAJA(英国式リフレクソロジー)の設立は1996年7月であり

サロンであるクイーンズウェイの展開は1997年から始まった。

刺激されて会社は国際若石リフレクソロジー学院を設立したが

人の受け皿となるサロンの取り組みを怠った。

                                  

サロンと言っても、私が思い描いたサロンは、

会社として人を雇用しての運営なので、

1人、2人で運営してきた過去の若石サロンとは

全く発想を変えて、少なくとも、最低5,6人の女性の施術者のいる、

好立地の路面店か、デパート内のテナントでのサロンである。

                                   

企画力は必要であったが、成功例はすでにRAJAが創りあげていた。

RAJAは同時進行でサロンの準備を行っていたと思われる。

後発でも、採算の取れるサロンの展開にもっと力を入れていれば、

卒業生の受け皿となり、学院生の募集もうまくいっていたと

思われる。

りフレクソロジストを志す人のニーズをつかめていなかったのだ。

                                

応募する人は、

「お客様に満足いく施術ができるりフレクソロジストになり、

継続してリフレクソロジーを仕事としてできる」ことが

目的であり、学院で学ぶことはあくまでも手段である。

授業という商品を売ることだけが先行してしまったのである。

                                    

当時、会社は、全国にデパートの口座を持っていた。

サロンに真剣に取り組めば大きく展開出来たはずである。

                                   

リフレクソロジストの心を持って事業に取り組み、

急展開をせず成功パターンをあせらず育てあげていくことが

必要だった。

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湧泉の足つぼ(リフレクソロジー)⑨

日本における若石健康法は

2001年2月、会社の倒産によって一時挫折した。

(倒産後しばらくして、社長夫人を代表者にして日本分会が再設立された)

                           

健康機の販売が主業であった会社は、

全国各地の支社を地域ごとの販売会社として分社化していたが、

夢を持たされて頑張った各支社の幹部が抱いた

分社前の期待に反して、

分社とは名ばかりで、本社の各販社への管理は

以前の支社当時となんの変わりもないものであった。

                           

2000年1月、

トップの経営方針(学院の展開等)にも不満をもった

数名の販社長と幹部が、

秘密裏に結託して、ライバルのメーカーの代理店を設立し、

社員を引き連れて離反する計画が発覚した。

                          

決行前に察知して、手は尽くしたものの大きな打撃を受けたのである。

優秀な販売員を大勢引き抜かれ、得意先も奪われそうになった。

私は造反組のリーダーが社長であった、九州の販社の社長として

福岡に赴任し、組織防衛の先頭に立った。

                            

体勢を立て直すために、

やむなく辛いリストラを進めていた最中であるにもかかわらず、

国際若石リフレクソロジー学院を設立して、

スクールビジネスの展開に乗り出していた会社は、

苦しい業績にもかかわらず、

全国各地に学院の分校を次々に立ち上げたのである。

資金も人も足りない中での暴走だった。

                           

2000年10月、

九州で無理を重ね、体調も崩していた私は、

会社の方針についていくことが出来ず、退職の決心をした。

それから5ヶ月後会社は自己破産を申請した。

                           

退職後は、リフレクソロジーを含め、前の会社の仕事に

関係あることからは一切遠ざかりたいと思った。

知人から建設土木資材の会社を作りたいと誘いがあり、

総務部長として会社の設立に携わり、約2年間勤務した。

その会社も当初の話と違い、見切りをつけ退職した。


職安に通いながら、

自分に出来る事、好きな仕事は何なのかを真剣に考えた。

リフレクソロジー、整体」が結論だった。

2003年1月、「足つぼの湧泉」開業、

五十五歳からの再出発だった。

                         

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