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2008年10月23日 (木)

超・老老介護

先週、3,4日実家に帰りました。



87歳の母が94歳の父を看ています。

父は90歳まで、年相応の衰え方でしたが、

自立しながら自分のことは出来ていた人でした。



それが、2,3年前,

ある医者の「前立腺がんかも?ちょっと検査してみましょう」

の言葉にガックリきたのかそれ以来みるみるうちに衰えて・・・

今にいたっています。



10年ほど前、私か姉とどっちかと住もうと家を探したのですが、

母がどうしても動きたくないということで話は棚上げ。



母の動きたくないは全てに通じていて、

はたから見ると超老老介護でも、

大変だと思われても

自宅がいいのだそうです。



母は心臓の持病を持っているので、

私たちからすると爆弾を抱えているようなのですが。



それからは、

①往診してくれる医師の確保・・・何かあったときにすぐ飛んできてくれる 主治医

②介護保険の利用・・・たくさんの人の出入りがあるように。

を考えました。



母は昔の人なので介護保険の利用を説得するのに

1年以上かかりましたが・・・



姉と交代で帰ったり、

帰ったときは主治医の先生に会ったり、ケアマネージャーさんに会ったりと、

なるべくコミュニケーションをとるようにしています。

(自立していて、ずっと二人で静かに暮らしていたことがマイナスになっているのでは?

という思いもなきにしもあらずでしたので)



今までは年の割には元気!と自慢していた

母の室内歩行が困難になってきたようです。



こう聞くと普通は施設?と思うと思うのですが、

私たちに言われる前に防御策を提案してくるのです。

そして、帰ってみてこの状況を悲惨と見るか?

どうみるか?



寝たきり(この言葉、あまり使いたくないですが。)とはいえ

父は私が「wisteriaだよ」というと

「おう!」と言ってにっこり笑ってくれます。



私の出来る事は足を揉むことだと思い、

昔の話をしながら足をもみます。



前回、何日ヶ目に「wisteriaを○○に連れていかなくちゃ」と

起き出そうとして母を困らせているのを見たとき

なんとも切なくて、いたたまれませんでした。



普段は、寝ているか、じっと天井を見ているだけなので

そのことの切なさを親しい友に話したら、

「昔学んだことを絵巻物のように反芻しているのではないの?」

と言われてとっても救われました。



退屈だろうに、背中痛くないのかしら?などなど思うのですが・・・

大声出すでもなく、文句言うでもなく、徘徊するでもなく。

自分にとってもそう遠くない将来やってくるであろうこういう時に

どう対処するのがいいのか学ばせてもらっています。



父は昔から好奇心旺盛で、新しいものが大好きで、

いい意味で好きなことをやってきた人だと思います。



だから、私もいい意味で我慢せず、残りの自分の人生を謳歌し、

人様のお役に立てるよう暮らせたらいいなと切に思います。



「高い施術代(飛行機代)だね」と言いながら、

母の足と背中の施術もしました。

近ければちょくちょく出来るのにと思うのは欲でしょうか?



昨日書いた「治る?」の言葉が胸にドスンと

響いたのも、自分のこともありますが、

常に「治る」方向に向かない人生を

考えざるをえないことへの何かなのでしょう・・・

                wisteria

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